必修科目の履修漏れ問題
2006年10月27日小火が大火事になったとでも言うべきか、履修漏れ問題である。
問題は世界史だけに留まらず、非受験科目全般に及び、多くの受験生が苦難を抱えることになった。
学校側の釈明では「生徒の受験対策のためにやった」「世界史が役に立つのか」などと贖罪意識は薄いようだ。
しかし高校卒業することと大学受験することは必ずしもイコールでは結ばれない。
実際、大学に進学した人がすべて高校を卒業しているかといえばそうではないし、高校を卒業した人がすべて進学するわけではないだろう。
私事だが、筆者は前者の人間で高校を出ず大学へ進学した。
今思うと、受験のときの苦労は筆舌に尽くしがたいものがある。
そんな中なんとか合格を勝ち取ることができたが、周囲の似た境遇の人の中には挫折する者も少なくなかった。
学歴社会の崩壊が叫ばれて久しいが、今でもよい大学への進学はよい企業への就職へとつながり、生活を豊かにすると信ずるものも多い。
だからといって決まりを破っていいことにはならないだろう。
それが教育機関であれはなおさらだ。
問題を起こした指導者の方々はよく考えてもらいたい。
問題は世界史だけに留まらず、非受験科目全般に及び、多くの受験生が苦難を抱えることになった。
学校側の釈明では「生徒の受験対策のためにやった」「世界史が役に立つのか」などと贖罪意識は薄いようだ。
しかし高校卒業することと大学受験することは必ずしもイコールでは結ばれない。
実際、大学に進学した人がすべて高校を卒業しているかといえばそうではないし、高校を卒業した人がすべて進学するわけではないだろう。
私事だが、筆者は前者の人間で高校を出ず大学へ進学した。
今思うと、受験のときの苦労は筆舌に尽くしがたいものがある。
そんな中なんとか合格を勝ち取ることができたが、周囲の似た境遇の人の中には挫折する者も少なくなかった。
学歴社会の崩壊が叫ばれて久しいが、今でもよい大学への進学はよい企業への就職へとつながり、生活を豊かにすると信ずるものも多い。
だからといって決まりを破っていいことにはならないだろう。
それが教育機関であれはなおさらだ。
問題を起こした指導者の方々はよく考えてもらいたい。
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