落合と原、リアルタイムの比較。

1982
 落合三冠王獲得。この時点では達成者は王、野村だけで当時はすごい快挙と言われた。
 原も2年目で30ホーマーに届き、順調に成長という感じ。
1983
 原にとっては生涯最高の年。唯一のタイトル打点王獲得、巨人リーグ優勝、MVP獲得。
 オフはCMに出まくり人気は最高だったんでは。
 しかしシリーズではそこそこ活躍したのに東尾の内角攻めにやられたというマイナスイメージが...
 一方落合は3年連続首位打者とステディな活躍。
1984
 ブーマーがパの三冠となり落合にとってレギュラー獲得後初の無冠の年となる。
 順調に育っていた原にとってはスランプの年となった。王監督就任も影響か。今にしてもみると悪い数字ではないが。
1985
 無冠が相当悔しかったのか、落合、圧倒的な数字で三冠王。52HR、AVE.367、RBI 146って...あまりにもスゴすぎる。
 一方この年の原は正直まったく印象がない。34HRはまずまずだが、阪神爆発に完全に隠れた。
1986
 落合、前人未到の3度目の三冠達成。2年連続50HRなど圧倒的。この年の落合が偉大なのは秋山、デービス、など40HR台や
 ブーマーなどの強打者を完全に抑えての三冠であること。まさにピークを迎える。
 一方の原は前半は山本浩二とHRダービーのトップを争うなどついに覚醒かと思わせたが、バースにあっという間に離される。
 しかし36ホーマーはキャリアハイ。津田の投球で骨折しなければ40台に届いていたかもしれない。
 ちなみに皮肉なことに原の骨折後、巨人は猛然と勝ちだし広島とデッドヒートとなった感あり。
 「どうでもいいときに飛び出す原の無駄打ちホームラン」などと言われたのはこのあたりからだったように思う。
 確かに俺の記憶の中でも、この年は本数は増えたが原が打っても勝てない試合が多かったような...
1987
 落合、中日移籍。意外にも無冠だがリーグ変わって打率3割3分は偉大。今思うと星野との関係に悩まされたのでは。
 一方の原は序盤はケガの影響もあり7番などを打たされてた記憶あり。代打満塁HRなどの活躍で一応は実力で4番の座をもぎ取った形。
 一応及第点の成績となった。(原は多分こういう形が一番ハマっていると思う)
1988
 落合、中日で初のリーグ優勝。後半はサヨナラホームランなど連発し勝負強さを発揮。
 しかしその実情はレギュラーとなって初めて3割を切るなどかなりの打撃不振。
 一方、原は印象なし。この年のHRキングは33本のポンセでかなりのチャンスだったのにまたもわずかに及ばず。
 原は元気なのにクロマと吉村の欠場で巨人も沈み、相変わらずの覇気のなさ、帳尻、という感じだけが残った。
1989
 藤田監督就任と外野コンバートでよみがえったのか、原、開幕2戦で3ホーマーの大活躍。
 巨人の開幕ダッシュと優勝に勢いの面では大きく貢献し、生まれ変わったかのごとく賞賛された。
 しかしケガもありよく見ると残した成績はほとんど過去最低だったりする。
 一方落合は早々と中日が優勝から脱落したせいか、成績は40HR3割など本来の姿に。セで初タイトルの打点王獲得。
1990
 原はほとんどケガで印象なし。原というより投手陣の活躍で巨人はらくらくリーグ優勝。
 シーズン終盤にインチキのように打ちまくり新人からの連続20HRを無理やり達成したのにはワロタ。
 一方落合はタイトルとしては打点とHRの2冠だが、打率は2割9分も割るという大スランプの年。
 年齢も37歳だし、俺はもう落合も終わりかなと思ったね。
1991
 落合、オフに舌禍事件で星野批判を展開。一方で今年こそ3冠を、と意気込みは激しく、
 3部門ともトップレベルの文句なしの成績も、終盤の欠場が響き打点は広沢、さらに首位打者も
 最後の最後に古田と、揃ってヤクルト勢に逆転され、本塁打の一冠に終わる。
 一方、原は申し訳ないがまったく印象ありません。成績的にも相変わらずの平凡な数字ですな。
 この頃の巨人打線は駒田とか岡崎らのが目立ってたと思う。実際に4番も何回か打ったしな。
 つーか、第2次藤田時代の原は印象薄かった。藤田も近藤ヘッドももう原を見切ってた感があるね。

1992
 第2次藤田時代になって年々存在感を薄めてきた原だが、更に意外なところから4番を奪われる危機が訪れるとは...
 その名は今話題のデーブ大久保w。しかし、それは笑い事ではなくマジだった。
 前年に続き調子の上がらない巨人へのカンフル剤として西武から移籍のデーブが移籍早々本塁打を連発しまくる。
 しかも原と違って(事実)チャンスで劇的な一発を連発する。一時的にもマスコミのヒーローとなり4番にも座る。
 こんな状態に発奮したのか、デーブがマークされた後半には原も意地を見せ、大野豊からのサヨナラホーマーや
 神宮球場でのホームラン後バット投げなどでようやく存在感を見せる。が、これは原の最後の輝きだった...
 一方、落合は星野退団もなぜか大幅に成績を落とす。打率は3割にも届かず、ホムランは20本台と低迷。
 39歳、いよいよ年か...という感じだった。

1993
 世間は巨人軍w長嶋就任で大騒ぎの中、原はシャレにならない不振に陥る。打率.229、11HRてさすがにシャレにならんな。
 長嶋と相性悪かったのか?これでは当然のごとく4番失格。救いはこの年は駒田など他打者も不振だったことぐらいか。
 落合は一応中日が優勝争いしているのに全く目立たず、成績も前年よりさらに落とす有様。
 この2年の不振はその後を考えると単なる年齢によるものと思えず不思議だ。
 そしてそのオフ、ドラフト以来の相思相愛と本人が言う長嶋巨人へFA移籍。いよいよ原と同球団にまみえることとなる...。

 ちなみに移籍前後の落合の発言は忘れられない。
 「巨人の4番が駄目だったから長嶋監督は勝てなかった。ハッキリ言って原辰徳!」。
 まあ、この年はハッキリ言ってそうだったけどなw。

1994
 この年は結局のところ10.8に尽きる。
 勝てば優勝という試合で当時最強の巨人キラー今中から先制ホーマー、さらに決勝タイムリーの価値は計り知れない。
 まさかと思わされた。例え通年の成績は平凡でも落合という人間の恐ろしさを知らしめるに十分だったと言えよう。
 原も実は全盛期の半分ぐらいの試合数で数字的にはよくやった方ではあるが。さすがに意地もあったのだろう。
 しかし時すでに遅し。少なくとも長嶋の脳内では既に「落合>>(無限大)>>原」だったのは間違いない。
 加えて、次世代の4番ゴジラを育てるという意味でも落合の存在は原に比べてはるかに有意義だったのでは。
 長嶋日本一フィーバーと合わせ、まさしく原時代の終焉となった1年となった感あり。
 一方、落合は完全に中日を敵に回したと思ったが、数年後監督になるとはまさしく想定外だったなw

1995
 原、前年でもう巨人に居場所はないと悟ったのか、グランドフィナーレw。
 エンディングは試合後挨拶もあったりして、それなりの扱いだったと記憶している。
 ま、その数年後には早速ヘッドとして迎えられてるしな。
 落合は意外なことに3割をマーク。42歳でその成績とは恐れ入る。
 しかし、実はその中身は主に中日投手陣を食い物にしたものだと言われる(対戦打率5割超とかw)
 ま、前年のアレでトラウマ残ってるわな。

1996
 落合、43歳にして3割20本をマークもオフに清原FAの騒動もあり巨人退団。ゴジラ覚醒も背景にあるか。
1997,1998
 落合ハムに移籍も何もできず引退。40歳超えのリーグ移籍は厳しかったか。もしヤクルトならどうだったか...
 記憶に残っているのは、オリックス野手の嘉瀬が投手で出てきた時にバックスクリーンに打ち返しただけだったw



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